本日の本は、「反応しない練習」
宗教的なものが苦手な日本人が多いですが、この本はスピリチュアルとリアリティの間ぐらいのトーンで書かれている良書で読んでいてとても心地がいい本でした。今僕は30歳という年齢で、少しは自分のスタイルや生き方を確立できているのかなあと思っていたのですが、全然まだまだおぼこいマインドだなと自覚しこの本の内容をしっかり噛み締めて、優しく強く生きて行きたいなと思えました。
世は煩悩まみれ
今の世の中は煩悩まみれです。暇さえあればSNSで他人の情報を覗き、数十年前からすると異次元の情報量が脳に入ってきています。便利なことも多い反面、見る度に心が「反応」し、疲弊してしまっている人が多いのも事実です。そして人々が持っている悩みは、大抵この「心の反応」からきているというのがこの本のアプローチです。
比べたり、怒ったり、勝手に決めつけて判断したり、
苦しみを生み出す無駄な心の反応は、「怒り」「妄想」「貪欲」です。本書ではこれを三毒と定義してますが、これを排除できれば、優しく穏やかに社会と付き合っていけます。
漠然とした不安や悩みは、この心の反応が見えておらず、まずはそのことを「理解する」ことでモヤモヤが晴れます。「あるもの」を「ある」と、人生とは一定の苦しみが伴うそういうもんなんだ理解し、反応はしない。そうするとブッダみたいにかっこよく生きれます。
「クセありおじさん」にならないために「判断」の執着を手放す
これは僕が一番ハッとさせられたのですが、生活している中で新しい情報に接触しながら、毎日強烈な量の判断をしています。
「この人は好き、嫌い」
「これは合ってる、間違ってる」
「物事の善し、悪し」
これを判断し続けることで、自分の日々の付き合いやテリトリー、どういう風に生きたいかという人生を守れていると思っていたのですが、「自分が正しい」という心に潜んでいる病が強くなって、「こうあるべき」という期待を相手に押し付けて、勝手に失望して、否定したり相手を傷つけたりしてたのかなあと。「自分は正しい」という判断は期待や欲求を生み出しすぎるので、もっとニュートラルに目の前の事実を受け入れ、構築していけるようなそんな人間になりたいなと思いました。「いい歳こいて今更そんなことを」と思いながら読んでいる自分もいましたが、それこそが心に潜む「慢」というビョーキなんだなと解釈できました。
人を苦しめる「判断」には、「自分はエライ」「正しい」「優れている」と肯定しすぎる思いもあります。仏教では、こうした心理を「慢」とよびます。
慢は、いっときは自分を肯定できる気がして心地よいのですが、高慢、傲慢、プライド、優越感といった思いは、結局、不満や自惚れゆえの失敗を招いて、損をします。(原文のまま)
正しい努力で強く優しく生きる
とはいえ、お坊さんみたいには生きれないし、ある程度は快楽や欲求に従って生きていきたい。資本主義社会はやっぱり正しい努力で目的を果たしていく過程が楽しかったりします。この本ではそういった競争は別に否定していません。他人の目から自由になり、より心地いい未来を描けるように自分の物事に集中し、自分が納得できる基準を設けて正しい努力を続けていく。そのことを推奨しています。ただし、外部環境に引きづられてしんどくなることは勿体無いので、自分の心と体を自分でコントロールする方法が重要なんだ教えてくれました。